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難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く。

~11月16日生まれの 井上ひさし の言葉

井上ひさしは、1934年生まれ、山形県出身の小説家、劇作家、放送作家。上智大学外国語学部フランス語学科を卒業後、放送作家となり、人形劇『ひょっこりひょうたん島』を手掛け、同番組で国民的な人気を獲得。その後、戯曲の執筆や小説・随筆等なども手掛けるようになり、1983年に「劇団こまつ座」を創設。2004年に文化功労者顕彰。
              ・・・出典 : Wikipedia、他

「井上ひさしさんを偲んで」より

「井上ひさしさんを偲んで」より


井上ひさしの他の言葉
『一番大事なことは、自分にしか書けないことを、誰にでもわかる文章で書くということ。』

『ある選択をするということは、その選択によって生まれるはずのマイナスを、すべて背負うぞということ。』

『辞書はよき相談相手であり、友人であり、いろんなことを教えてくれるおじさんなのです。
そんなふうに辞書と付き合えば、一生の得ですよ。』
    ・・・出典 :「井上ひさしの名言 | 地球の名言」より


加寿の感想と体験
難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く。
この言葉は、私が研修講師をするときに、常に意識することです。

以前、「10代から70代までの学歴も職歴も性格もまったくバラバラの30名を半年間教える。」という学校の仕事を依頼されたことがあり、いったい、どう教えたらいいのかなと悩みに悩みました。。

そのときに行なった授業が、まさしく『難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く。』だったと思います。コミュニケーションの基本的なことをお教え、あとはチームを作ってトコトン話し合ってもらいました。

その結果、半年後には、皆さんの「読む、書く、話しを聴く、発表する」などの基本的な能力が驚くほど上がっていました!

私自身も、「双方向の対話によるチームの活性化」の有効性をまざまざと実感し、その後は、ファシリテーションを中心にした講義が人気を呼び、5校の講師をすることになりました。

話し合いの場づくり

話し合いの場づくり


「難しいこと」も、話しをすることで整理され、他の人の考えを聴くことで「深く」
なり、実行して成果が出だすと「面白く」なるのかも知れませんね♪



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ここからは加寿の仕事「ファシリテーション」のご案内です。

ファシリテーション/会議の進め方の公開セミナーのご紹介があります。どなたでも参加できますので、ぜひファシリテーションを身に付けていただきたいと思います。

問題解決会議あれこれ各地で行なったファシリテーション・セミナーの様子

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私は、私の前の誰がしたよりも、もっと宇宙を見たのである。

~11月15日生まれの天文学者 ウィリアム・ハーシェルの言葉

ウィリアム・ハーシェルは、1738年生まれ、ドイツのハノーファー出身のイギリスの天文学者・音楽家・望遠鏡製作者。天王星の発見や赤外線放射の発見など、天文学における数多くの業績で知られる。

ウィリアム・ハーシェル

ウィリアム・ハーシェル~「教員のための理科総合サイト」より


ハーシェルは音楽教師として、また楽団長として成功を収めた。音楽に携わるうちに次第に数学にも興味を抱くようになり、さらに天文学も学ぶようになった。ハーシェルの人生の転機は1781年3月13日に訪れた。この日、彼は天王星を発見した。この発見によって彼は一躍有名人となり、以後天文学の研究に専念するようになった。  
            ・・・出典 : Wikipedia、他


加寿の感想と体験
私は、私の前の誰がしたよりも、もっと宇宙を見たのである。
誰もが成し得なかった新しい発見や、事業の成功などの秘訣は、「他のだれよりもさらにやること」ということでしょうか?

音楽家として成功を収めたあと、35歳くらいから本格的に天文学に携わり、自ら望遠鏡を製作し始めたということなので、芸術と科学を追求して成功した人ですね。少しレオナルド・ダ・ヴィンチを思わせます。

「ハーシェルはその生涯で400台以上の望遠鏡を製作した。その中でも最大で最も有名な望遠鏡は焦点距離40フィート(12m)、口径49 1/2 インチ (126cm) の反射望遠鏡である。」

自分が興味を抱いたことを次々と仕事にし、それぞれで成功を収めた・・幸せな人生だったのでは、と思います。

ウィリアム・ハーシェル

ウィリアム・ハーシェルの銀河系モデルと望遠鏡


私も、ファシリテーターの仕事をしながら、30代の半ばで中断している【画家としての人生も復活したい】などと夢を見てしまいます(笑)



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『悟りとは、如何なる場合でも平気に死ぬることだと思っていたが、悟りとは如何なる場合でも平気で生きることであった。』

~11月14日生まれの 正岡子規の言葉

正岡子規は、1867年、愛媛県松山市生まれの俳人・歌人。近代文学に大きな影響を与えた明治時代を代表する文学者のひとり。東京帝国大学国文科を中退し、新聞『日本』の記者になる。記者生活の傍ら俳人として活躍。日清戦争に従軍記者として参加するも上陸2日で終結。帰国後は俳句雑誌『ホトトギス』を創刊し、俳句の世界に大きく貢献した。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。

正岡子規

正岡子規


正岡子規の他の言葉
『文章は簡単ならざるべからず、もっとも簡単なる文章がもっとも面白き者なり。』

『自個の著作を売りて原稿料を取るは少しも悪き事に非ず。されどその著作の目的が原稿料を取るといふ事より外に何もなかりしとすれば、著者の心の賤しき事いふまでもなし。』

『世間恐るべきは猛獣毒蛇にあらず、壮士暴客にあらず、ただ勉強家と沈黙家と謙遜家とのみ。』

『死ぬまで、ひっこむわけにはゆかない。』


加寿の感想と体験
『悟りとは、如何なる場合でも平気に死ぬることだと思っていたが、悟りとは如何なる場合でも平気で生きることであった。』

とても味わい深い言葉です・・・

私は、33歳と44歳のころ「死んだほうがましだ」と思うようなつらい経験をしました。2回とも一度にいくつものことが同時進行しました。親しい人々と生別・死別し、会社を辞め、住む場所も変わり、一からの再スタートでした。

2回とも救いがあったのは、「次の仕事」を始めていたことでした。

33歳のときは、会社を辞めた翌日から写真の夏期講習に通い、職安に行き、自動車教習所に通い、見込み客を訪ね、資金調達をし、店舗つき住宅を借りて改装し、機械を設置し、開業の準備をし、家を出て一人暮らしで会社での寝泊りを始めました。

退社後40日で開業し、半年後にやっと免許も取れ、友人から中古車を譲り受け、受注に納品に走り回っていました。普段は仕事で表に出なかった感情が信号待ちの一瞬に噴き出し、涙で前が見えなくなったことも多々あります・・常にからだの中をゴーゴーと風が吹き荒れている状態でした。。

ゴーゴーと風が吹き荒れ

からだの中をゴーゴーと風が吹き荒れて


そこから、44歳での経験(機会があったら書きますね)を経て、『如何なる場合でも平気で生きる』ようになれるまで、ずい分時間が掛かりました。

思えば、そのときそのときに助け励まし応援してくれる方々がいました。心から感謝いたします。「どんなにつらいことがあっても、生き続ければ必ずいい方向に向かう!」と今は思います。


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我々の務めは成功にあらず。
 失敗にたゆまずして、さらに前に進むことにある。


~11月13日生まれの ロバート・ルイス・スティーブンソンの言葉

ロバート・ルイス・スティーヴンソンは、1850年イギリスのスコットランド、エディンバラ生まれの小説家、冒険小説作家、詩人、エッセイスト。生まれつき体が弱く各地を転々としながら多くの冒険小説を残した。主な作品に『宝島』『ジキル博士とハイド氏』『南海千夜一夜物語』など。晩年は南太平洋サモア諸島に移住し、残りの生涯をそこですごした。

ロバート・ルイス・スティーヴンソン

ロバート・ルイス・スティーヴンソン


ロバート・ルイス・スティーヴンソンの他の言葉
多忙になってはいけない『多忙は生気が欠乏する兆候である。そして、怠ける能力は大いなる嗜好欲と、強い個性の意識とを意味する。』

『希望は永遠の喜びである。・・・年ごとに収益が上がって、決して使い尽くすことのできない確実な財産である。』

『幸福になる義務ほど過小評価されている義務はない。
幸福になることで、人は世間に匿名の慈善を施している。』

『毎日をその日の収穫高で判断せずに、まいた種で判断しなさい。』


加寿の感想と体験
スティーヴンソンの『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』は、少年時代に熱中した本であり、映画でした。

あらためてスティーヴンソンの人生を紐解くと、「生まれつき病弱で、各地を転地療養しながら作品を創作した。」「スコットランドで生まれ、パリで巡りあい、サンフランシスコで結婚し、イギリスに帰り、フランスに家を買い、ボーンマスに移り住み、妻子と共にアメリカへ移住、南太平洋に移住し残りの生涯をそこですごした。」と、44年間の短い人生でありながら、世界の各地で暮らしています。

我々の務めは成功にあらず。
 失敗にたゆまずして、さらに前に進むことにある。


スティーヴンソンは、上の言葉どおり、一生、前に進み続けてのでしょうか?

宝島
この世に生まれてきた以上は、世界中を観てまわりたい!
そしてあちこちの国に住んでみたいものです!


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変わり続けるからこそ、変わらずに生きてきた。

~11月12日生まれの ニール・ヤングの言葉

ニール・ヤングは、1945年生まれ、カナダ・トロント出身のシンガーソングライター、ミュージシャン。クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングやバッファロー・スプリングフィールドのメンバーとしても活躍。1969年にソロデビューし、1995年にはロックの殿堂入りを果たした。          ・・・出典 : Wikipedia

ニール・ヤング

ニール・ヤング



ニール・ヤングの他の言葉
『音楽なんて気が向いた時にやればそれでいいんだ。』
(『俺はカートと連絡を取ろうとしていたんだ。カートと話をしたかった。音楽なんて気が向いた時にやればそれでいいんだと伝えてあげたかったんだ。』)

{ニール・ヤングは1994年に自殺したニルヴァーナのカート・コバーンが遺書でニールの歌詞「霞んで消えるよりはむしろ燃え尽きたい。」*を引用していたのを知って、打ちのめされた。}*”ヘイ・ヘイ、マイ・マイ(イントゥ・ザ・ブラック)”の歌詞の一部

加寿の感想と体験
私にとってのニール・ヤングは、「狂熱の60年代末」が明けた70年代始めの「夢から醒めた後のシラケとアキラメ」時代の象徴のような存在でした。

その後、時代が変わっても聴き続け、来日コンサートにも行っています。落ち込んだときに、元気が欲しいときに聴く、まさしく【生きるチカラ】の源のようなアーティストの一人です♪

変わり続けるからこそ、変わらずに生きてきた。』の原文(出典不明)は
I have changed my ways of doing so much, so I have been able to send my life without changing my precious self

パソコンで翻訳すると『私は非常にそうするやり方を変えたので、私は貴重な自身を変えることなく人生を送ることができました。』と出ました。

音楽スタイルは1作ごとに変わった(ロック、フォーク、カントリー、ロカビリー、テクノ、グランジなど)時期もあったし、発表作品ごとにバラエティに富んだアプローチをとることも多く、絶えず新しいものに挑戦し続けているが、ニール・ヤング自身のイメージは昔も今もひとつも変わっていません。

変わり続けるからこそ、生きてこられた。』のかも知れませんね!?

ニール・ヤング「マイマイヘイヘイ」Neil Young – My My Hey Hey (1985)

ニール・ヤング「マイマイヘイヘイ」



【スタイルは変幻自在で、時代の変化には柔軟に対応していきながらも、自分自身の本質と信念は少しもぶれない。】そんな生き方をしたいものです!

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『自分の好きなものを追求していくと、どんどん自分が変わる。
そして変わるということは、成長するということです。』

~11月11日生まれの解剖学者 養老孟司(ようろう たけし)さんの言葉

養老孟司さんは、1937年生まれ、鎌倉市出身の解剖学者、作家。ベストセラー「バカの壁」の著者として知られ、『人のあらゆる営みは脳という器官の構造に対応している』という「唯脳論」の提唱者。一般的な心の問題や社会現象を脳科学、解剖学をはじめとした医学・生物学領域の知識を交えながら解説することによって多くの読者を得ている。
・・・[地球の名言「養老孟司のプロフィール」]より抜粋

養老孟司先生と猫の“まるちゃん”

養老孟司先生と猫の“まるちゃん”



養老孟司さんの(私が気になった)言葉

『壁は全て、自分が作っている。』

『一歩を踏み出さなきゃ、好きかどうかも分からない。』

『自分の好きなものを追求していくと、どんどん自分が変わる。そして変わるということは、成長するということです。』

『若い人の弱点は、今の自分で世界を考えたがること。自分が変われば、世界も変わることに気付いていない。』

『大事なことは、これが自分の生き方だ、自分の仕事だと決めることです。』

『これだと自分が思えることなら、何歳になって見つかってもいい。』

『ある程度「世間」というものを知るまでに60歳を過ぎてしまった。』

加寿の感想と体験
2003年に出版された「バカの壁」は、ベストセラーとなり、その年の流行語大賞を受賞しましたが、内容については色々と批判も受けたようです。私は「バカ」という言葉になじめず読みそびれてしまい、今頃ネット上で追体験をしています(笑)

という訳で、今回は上の名言から連想して書かせていただきますので、悪しからず・・

私自身、コーチングやカウンセリングなど、心理学や精神分析学の周辺を学び出してから、自分の内面に深く入っていくようになり、「駄目な自分」や「できてない自分」、何よりも「過去の心の傷」と「喪失感」に向かい合わなくてはならなくなり、6年くらい悶々として、それまでのように「恐いもの知らず」に仕事ができなくなっていました。心の中は常にザワザワしてました。

やっとそこから抜け出せたのが2年前、そして「お金儲け」から「使命」にシフトしたのが1年前・・
『これだと自分が思えることなら、何歳になって見つかってもいい。』
『ある程度「世間」というものを知るまでに60歳を過ぎてしまった。』
の境地に来たところです!

使命

私にとっての『これだと自分が思えること』は2つ
1.ファシリテーションの力で、人も社会も自分も生き活きとする♪
2.30代で中断した「絵描き」を再び目指す!
です。

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あなたは、誰かに怒られたとき「自分の人格を否定された・・」と感じて、落ち込んだことはありませんか?

怒る

会議などで自分の意見を否定されたときはどうでしょうか?「自分自身が否定された・・」と感じて、「もう2度と発言などするものか!」と思ったりしませんか?

【会議のやり方・進め方】今回のテーマは、【「ひと」(その人そのもの)ではなく「こと」(その人の意見)について話し合う。】です。

話し合いや会議で、怒られたり意見を否定されても、「自分の人格を否定された・・」と落ち込むことはありません。あなたの行為や態度や意見が怒られたり否定されただけで、あなたの人格やあなた自身が否定されたわけではありません。

もし間違っていたと思ったら、行為や態度や意見を改めればいいだけです。

交流

以前の私は、会議やミーティングの場で、自分の意見やアイデアを否定されたり、無視された形になったり、声の大きな人の発言に押されたりすると、「もういいや」と、押し黙ってしまうことが多かったです。

こんな場合は、ホワイトボードや模造紙などに「その人の意見」を記録することによって、「その人」と「意見」が切り分けられて、発言した「その人」そのものではなく、ホワイトボードなどに書かれた「意見」について、客観的に話すことができます。

また、書かれることによって、「その人」が出した「意見」が尊重されているという意識が高まります。ほかにも、書くことには様々なメリットがあります。

ファシグラ

ホワイトボードや模造紙ではなく、付箋(ポストイット)に書くことで、書くことのメリットを活かすのが【問題解決会議】です。

この【問題解決会議】は、3色の付箋(ポストイット)を使い、4つのステップを順を追って進めて行くので、どなたでも、どこにでも導入して、問題解決や目標達成を促して、速やかな成果につなげることができる優れものです!

そこで、私は【問題解決会議】を【★3c5s会議★】と呼んでいます。
※3色の付箋(ポストイット)の使い方はこちらでご覧ください。

私は、コーチ、研修講師、就活講師、会議の促進役(ファシリテータ)など、長年にわたりコミュニケーションに係わる活動してまいりましたが、講師をした数あるプログラムの中で、最も人気があり、リピート率が高く、しかも成果が出て応用が効くのが【★3c5s会議★】です。

皆さまにもぜひ使っていただきたいので、公開セミナー【★3c5s会議★ 1日で問題解決の糸口が見つかり~目標達成に向けて歩みだせる!】を、ご希望の地域で開催いたします。ご希望の方は、お気軽にご連絡ください♪

問題解決会議あれこれ

【概要】公開セミナー【★3c5s会議★ 1日で問題解決の糸口が見つかり~目標達成に向けて歩みだせる!】
日程:6時間から9時間(ご希望に沿います)

会場:あなたがお住みの地域に出張いたします。

【進行役】
加寿 明(かず あきら、CAT組織変革ファシリテータ、他。株式会社 家族会議 取締役副社長)

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『向きだの不向きだの、考えてる場合じゃない。はじめるこった。
恥をかいたり、無視されたりするためにも、まずは、はじめるこった。

~11月10日生まれのコピーライター 糸井重里の言葉

糸井重里は、1948年生まれ、群馬県出身で、コピーライター・エッセイスト・タレント・作詞家など、さまざまな分野で活躍。1998年、「ほぼ日刊イトイ新聞」を開設。

私(加寿)とは、保育所、小学校、中学校、高等学校と一緒で、内5年間は同級でした。糸井君の思い出は、ブログの後半で書きます。

糸井重里

糸井重里



糸井重里の他の言葉(「加寿の知ってる糸井君」らしい言葉)

『みんなみんな、心ときめかせるものは不思議でいっぱいだ。』

『誰でもできるかもしれない仕事を与えられたら、そのときこそ、誰にもできない仕事にしてやろうと思いなさい。』

『「おかしくなっちゃった」と他人に思われるくらいのことでないと、新しいことなんかできやしないのだ。』

『等身大のままできることを、ちゃんとやっているうちに、上昇するらせんのように進歩はするものさ。』

『自分だけのために、自分が決めたことだけをやるのは、なかなか困難なことなのだけれど、誰かのためにもなることは、あんがいやれるものだ。』

『影が見えるということは、光が射していればこそのことなのだ。』

加寿の感想と体験
今はめったに会わないが、TVや雑誌や、「ほぼ日」などでいつでも動向を知ることができる・・そんな相手のことを書くのは不思議な気分です(笑)

加寿の記憶の中での糸井重里

第四保育所時代~クラスが別で話したことはないが、存在は知っていた。

桃井小学校時代①~2年くらいのとき、群馬会館でラジオの公開収録があり、舞台に上がった小学生たちの中の一人にマイクが向いて発言した。それが糸井君だった。

桃井小学校時代②~5年生の頃、糸井君の発案で放課後に利根の河原に行き、石を割って化石を探した。日曜日に糸井君と3人で高崎観音山に行き、化石を掘ったこともあった。

桃井小学校時代③~5年生の頃、糸井君の実家は紅雲町にある群馬中央総合病院北の司法書士事務所で、加寿の家から2~3分だったので、よく遊びに行って一緒に風呂に入ったり、相撲中継を観たりした。(あとから知ったのだが、腹違いの)妹を見る糸井君の眼が、子ども心に複雑な感じに思えた。

・・・誰とも争わない、競争もしない、悪口も陰口も言わない、いつも友達いっぱいの人気者、でも偉ぶらない、おごらない。子どものころから、ある意味「おとな」だったのかも知れません。

第一中学校時代①~1年のとき、落語研究会を作ったと聞いた。ヨーヨーが流行りだしたとき熱中していた。道であったら「野球をしにいかないか?」と誘われた。

第一中学校時代②~3年のとき、「やだ ようた」というペンネームで授業中に先生の似顔絵を書き合って、回していた。当時の私のヘアースタイル「坊ちゃん刈り」(前髪を眉毛の上で切り揃える)を見て『流行るぞ』と言われた。(ビートルズ旋風の直前)

前橋高等学校時代①~1年の入学式のとき会ったら、マッシュルームカットをしていた!(私は七三分け・・)

・・・みんなが夢中になる前に熱中して、人一倍一生懸命やって、流行った頃は次に行っている。子どもの頃からそんなでした。

前橋高等学校時代②~自転車通学で、十数人に囲まれて下校していた。体育の授業で蹴上がりがなかなかできず、みんなの応援を受けてできた。いよいよ人気者。

前橋高等学校時代③~文学・芸術友達が増え、革新的な考えの現代国語の亀島先生を慕っていた。当時は3年に一度だった文化祭(学園祭)を、造反して2年目に開催したが、教室の照明を真っ赤にした「赤い部屋」を企画した。

法政大学/中核派時代~夕方のニュースを観ていたら、新幹線で!エンタープライズ寄港阻止闘争のため佐世保に向かう学生にインタビュー、マイクを向けられたのは糸井君だった!

・・・ラジオの公開収録もそうですが、とにかく目立っていた。

デザイン事務所「サムシング」勤務時代~大学中退後、コピーライター養成講座に通って、半年のコースだったのが優秀なので3ヶ月で推薦され就職した。表参道の会社とアパートに、何回か遊びに行った。

その後~小学校(3回くらい)、中学校(1回)、高校(1回)の同窓会で会うくらいです。特に高校は卒業25年の幹事学年の記念講演のスピーカーになり、たしか「任侠道の地、群馬」というような話しをしました。

・・・糸井君については、子どもの頃から何かと意識せざるを得ない存在で、影響も受けてきていると思います。今思っても糸井君の最大の才能は、「普通さ」と「面白いことに対する素直というか、率直さ」、「これから流行るものを見分けて、集中すること」、そして「王道というかメジャーさ」(阪神でなく巨人ファン、トッポでなくジュリー派)ではないかと思います。

近くで生まれ過ごし、あるときは親しく、ある時期は離れて、まさしく『等身大のままできることを、ちゃんとやっているうちに、上昇するらせんのように進歩はする。』を見続けてきました。

「ほぼ日」

「ほぼ日刊イトイ新聞」2014.11.09



11月9日の「今日のダーリン」より
『それにしても、知りあいで亡くなる人が多くなった。
そのことは、じぶんが亡くなることに
近づいているということなのだろう。
いつか同い年の同窓生たちがみんな他界したときに、
じぶんだけが何十年も余計に生きていることは不可能だ。
そういう意味では、「多くなった」ということは、
なにかを表わしているんだということくらいわかる。
それが、わたしの「状況」というものだからね。
でもね、それは赤ん坊のときから決まってたことだ。』

いつまでも見続けていられるのか?
どこかでまた接点が生じるのか?
どちらかが先に亡くなるのか?

片思いであろうとも、人生を並走する(というよりモデルであり、規範となる)同級生がいるのは、うれしいことです♪

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ファシリテーション/会議の進め方の公開セミナー【★3c5s★ 1日で問題解決の糸口が見つかり~目標達成に向けて歩みだせる!】を、11月16日(日)に群馬県高崎市で開催します。どなたでも参加できますので、ぜひファシリテーションを身に付けていただきたいと思います。

【概要】公開セミナー【★3c5s会議★ 1日で問題解決の糸口が見つかり~目標達成に向けて歩みだせる!】
日程:11月16日(日)9:30~17:30(受付9:00から)

会場:東横イン高崎駅西口Ⅰ 1階会議室(JR高崎駅西口から徒歩3分 群馬県高崎市鶴見町2-2 TEL:027-324-1045) 地図

●詳細とお申し込みはこちらからどうぞ

問題解決会議あれこれ各地で行なったファシリテーション・セミナーの様子

◆主催:株式会社 家族会議/ぐんまファシリテーション実践会
お問い合わせ先:株式会社 家族会議

『過去を変えることはできないし、変えようとも思わない。
なぜなら人生で変えることができるのは、自分と未来だけだからだ。』

~11月9日生まれの細菌学者 野口英世の言葉

野口英世は、1876年生まれ、黄熱病や梅毒等の研究で知られる。ノーベル生理学・医学賞の候補に三度名前が挙がった。黄熱病の研究と撲滅のために現地へ派遣され、自身も罹患し、アフリカのガーナにて51歳で死去。2004年(平成16年)から発行されている千円紙幣は、野口英世の肖像である。

1歳の時に囲炉裏に落ち左手を大火傷した。のちに周囲の援助で手術を受け、不自由ながらも左手の指が使えるようになったことに感激した事がきっかけで医師を目指す。

野口英世

野口英世



野口英世の他の言葉
『私は少しも恐れるところがない。
私はこの世界に、何事かをなさんがために生まれてきたのだ。』

『家が貧しくても、体が不自由でも、決して失望してはいけない。
人の一生の幸も災いも、自分から作るもの
周りの人間も、周りの状況も、自分から作り出した影と知るべきである。』

『この世界には、人間の頭数と同様に、仕事は沢山あるはずである。』

『教えに来たのではありません。習いに来たのです。』

◆加寿の感想と体験:
私が子どもの頃、「日本の偉人」といえば野口英世でした。教科書や、映画や、伝記で何度も触れる機会がありました。ただ、野口英世が「何をやった人か」は知っていても、「何を考えていた人か」は、ほとんど知りませんでした。

今回、野口英世の言葉を調べてビックリしました!私がこの数十年、自己啓発、成功哲学、コーチング、プロセス思考心理学、ファシリテーションなどで学んできた「人生の知恵」の多くのものが、野口英世の言葉の中に見い出されたのです!

自分と未来

『人生で変えることができるのは、自分と未来だけ』~前を向き、他人を変えるのではなく活かし
『人の一生の幸も災いも、自分から作るもの』~幸を作るように明るい心で
『私はこの世界に、何事かをなさんがために生まれてきた』~生まれてきた意味、ミッション(使命)を考えて生きましょう!

ファシリテーション/会議の進め方の公開セミナー【★3c5s会議★ 1日で問題解決の糸口が見つかり~目標達成に向けて歩みだせる!】を、11月16日(日)に群馬県高崎市で開催します。どなたでも参加できますので、ぜひファシリテーションを身に付けていただきたいと思います。

【概要】公開セミナー【★3c5s会議★ 1日で問題解決の糸口が見つかり~目標達成に向けて歩みだせる!】
日程:11月16日(日)9:30~17:30(受付9:00から)

会場:東横イン高崎駅西口Ⅰ 1階会議室(JR高崎駅西口から徒歩3分 群馬県高崎市鶴見町2-2 TEL:027-324-1045) 地図

●詳細とお申し込みはこちらからどうぞ

問題解決会議あれこれ各地で行なったファシリテーション・セミナーの様子

◆主催:株式会社 家族会議/ぐんまファシリテーション実践会
お問い合わせ先:株式会社 家族会議

『その当時は母親の仕事とされていたこと、例えば「おむつ替え」を彼はしていました。また性別による役割についても非常に現代的な考えを持っており、 ( 医者だった ) 妻は母親だけであるべきではないと言っていました。彼にとって、自分が育児へ参加するのは当然なことだったのです。』・・・ロールシャッハはイクメンパパだった!

~11月8日生まれの精神分析学者 ヘルマン・ロールシャッハについて語った[ヘルマン・ロールシャッハ公文書博物館]のディレクター、リタ・ジグナー氏の言葉
・・・[心理学史に残る「インクの染み」]より抜粋

ヘルマン・ロールシャッハは、1884年生まれでスイスチューリッヒ出身の精神療法家、フロイト派に属する精神分析家。被験者にインクのしみを見せて何を想像するかを述べてもらい、その言語表現を分析することによって被験者の思考過程やその障害を推定する「ロールシャッハ・テスト」を考案したとして名高い。
・・・ウィキペディアより抜粋

妻オルガ(左)とロールシャッハ(右)

妻オルガ(左)とロールシャッハ(右)



ヘルマン・ロールシャッハについて語ったリタ・ジグナー氏の他の言葉
『ロールシャッハは、何に対しても非常にオープンでとても魅力的な性格でした。彼はどのような事に対しても偏見を持たず、それが彼の多様な研究に現れています。とてもユーモアがあり、直観と科学的手法の尊重の結合が彼の魅力なのです。』
・・・[心理学史に残る「インクの染み」]より抜粋

加寿の感想と体験
(ロールシャッハ・テストの有効性については、賛否両論があるそうですが)私はロールシャッハの人間性について書かれたジグナー氏の言葉に大いに共感しました!

「無名の画家、美術教師であった父のもとに生まれ、」「父に倣って芸術家を志していたが、」「精神分析学に関心を持つようになり、」(・・・ウィキペディアより抜粋)ロールシャッハの経歴と、私の生い立ちが不思議なほどダブります!

私は、教員である両親の共働き家庭に生まれました。芸術家肌で夢見がちで、コミュニケーションが苦手な父の口癖は「もう嫌になった。。教員を辞めたい。」でした。そのせいか、母は一層しっかり者になり、仕事も育児も家事も頑張っていました。

当時は男の子(しかも長男で跡取り息子)は大事にされ、家事などは何もしなくてよかった時代でした。2人の妹は何一つ母を手伝いませんでしたが、私は「母が大変だ」と思って、自発的に手伝っていました。

おかげで料理も掃除も洗濯もできるようになりました。今で言う「家事好き男子」「イクメンパパ」のはしりだったと思います。

また、『ロールシャッハは、何に対しても非常にオープンでとても魅力的な性格でした。彼はどのような事に対しても偏見を持たず、それが彼の多様な研究に現れています。とてもユーモアがあり、直観と科学的手法の尊重の結合が彼の魅力なのです。』は、私の「あり方」の理想でもあります。

上の太字部分は私の本業であるファシリテーターと*しての「あり方」の理想でもあると思います。

*ファシリテーターとは、広くは「人々の活動が円滑に行われるように、中立的な立場から支援をする人」、狭くは「会議を円滑に行なう人」です。

ロールシャッハ・テスト

ロールシャッハ・テスト



では、ファシリテーターとしての「あり方」とはどのようなものでしょうか ?

ついつい出てしまう「コントロールしよう」とか「目立ちたい」、「賞賛されたい」という意識を無くすとか、「場に寄り添う」「場をホールドする」「場を信頼して任せる」ようにするなどとも言われています。

習うより慣れろ!場数を踏んでぜひ体験していただきたいと思います。

さて、ファシリテーションの場数をどう踏みましょうか?

まずは、特別なスキルや知識がなくても効果的にファシリテーションを活用できる【3色の付箋と4つのステップでの会議活性化の方法】をお奨めします。

それが公開セミナー【★3c5s会議★ 1日で問題解決の糸口が見つかり~目標達成に向けて歩みだせる!】です。

【概要】公開セミナー【★3c5s会議★ 1日で問題解決の糸口が見つかり~目標達成に向けて歩みだせる!】
日程:11月16日(日)9:30~17:30(受付9:00から)

会場:東横イン高崎駅西口Ⅰ 1階会議室(JR高崎駅西口から徒歩3分 群馬県高崎市鶴見町2-2 TEL:027-324-1045) 地図

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問題解決会議あれこれ各地での会議研修の様子

◆主催:株式会社 家族会議/ぐんまファシリテーション実践会
お問い合わせ先:株式会社 家族会議
(〒371-0021 群馬県前橋市住吉町1-1-10
Tel:027-231-0052 Fax:027-231-0050)

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