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まずは、はじめるこった。【生きるチカラ/言葉の智から】

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『向きだの不向きだの、考えてる場合じゃない。はじめるこった。
恥をかいたり、無視されたりするためにも、まずは、はじめるこった。

~11月10日生まれのコピーライター 糸井重里の言葉

糸井重里は、1948年生まれ、群馬県出身で、コピーライター・エッセイスト・タレント・作詞家など、さまざまな分野で活躍。1998年、「ほぼ日刊イトイ新聞」を開設。

私(加寿)とは、保育所、小学校、中学校、高等学校と一緒で、内5年間は同級でした。糸井君の思い出は、ブログの後半で書きます。

糸井重里

糸井重里



糸井重里の他の言葉(「加寿の知ってる糸井君」らしい言葉)

『みんなみんな、心ときめかせるものは不思議でいっぱいだ。』

『誰でもできるかもしれない仕事を与えられたら、そのときこそ、誰にもできない仕事にしてやろうと思いなさい。』

『「おかしくなっちゃった」と他人に思われるくらいのことでないと、新しいことなんかできやしないのだ。』

『等身大のままできることを、ちゃんとやっているうちに、上昇するらせんのように進歩はするものさ。』

『自分だけのために、自分が決めたことだけをやるのは、なかなか困難なことなのだけれど、誰かのためにもなることは、あんがいやれるものだ。』

『影が見えるということは、光が射していればこそのことなのだ。』

加寿の感想と体験
今はめったに会わないが、TVや雑誌や、「ほぼ日」などでいつでも動向を知ることができる・・そんな相手のことを書くのは不思議な気分です(笑)

加寿の記憶の中での糸井重里

第四保育所時代~クラスが別で話したことはないが、存在は知っていた。

桃井小学校時代①~2年くらいのとき、群馬会館でラジオの公開収録があり、舞台に上がった小学生たちの中の一人にマイクが向いて発言した。それが糸井君だった。

桃井小学校時代②~5年生の頃、糸井君の発案で放課後に利根の河原に行き、石を割って化石を探した。日曜日に糸井君と3人で高崎観音山に行き、化石を掘ったこともあった。

桃井小学校時代③~5年生の頃、糸井君の実家は紅雲町にある群馬中央総合病院北の司法書士事務所で、加寿の家から2~3分だったので、よく遊びに行って一緒に風呂に入ったり、相撲中継を観たりした。(あとから知ったのだが、腹違いの)妹を見る糸井君の眼が、子ども心に複雑な感じに思えた。

・・・誰とも争わない、競争もしない、悪口も陰口も言わない、いつも友達いっぱいの人気者、でも偉ぶらない、おごらない。子どものころから、ある意味「おとな」だったのかも知れません。

第一中学校時代①~1年のとき、落語研究会を作ったと聞いた。ヨーヨーが流行りだしたとき熱中していた。道であったら「野球をしにいかないか?」と誘われた。

第一中学校時代②~3年のとき、「やだ ようた」というペンネームで授業中に先生の似顔絵を書き合って、回していた。当時の私のヘアースタイル「坊ちゃん刈り」(前髪を眉毛の上で切り揃える)を見て『流行るぞ』と言われた。(ビートルズ旋風の直前)

前橋高等学校時代①~1年の入学式のとき会ったら、マッシュルームカットをしていた!(私は七三分け・・)

・・・みんなが夢中になる前に熱中して、人一倍一生懸命やって、流行った頃は次に行っている。子どもの頃からそんなでした。

前橋高等学校時代②~自転車通学で、十数人に囲まれて下校していた。体育の授業で蹴上がりがなかなかできず、みんなの応援を受けてできた。いよいよ人気者。

前橋高等学校時代③~文学・芸術友達が増え、革新的な考えの現代国語の亀島先生を慕っていた。当時は3年に一度だった文化祭(学園祭)を、造反して2年目に開催したが、教室の照明を真っ赤にした「赤い部屋」を企画した。

法政大学/中核派時代~夕方のニュースを観ていたら、新幹線で!エンタープライズ寄港阻止闘争のため佐世保に向かう学生にインタビュー、マイクを向けられたのは糸井君だった!

・・・ラジオの公開収録もそうですが、とにかく目立っていた。

デザイン事務所「サムシング」勤務時代~大学中退後、コピーライター養成講座に通って、半年のコースだったのが優秀なので3ヶ月で推薦され就職した。表参道の会社とアパートに、何回か遊びに行った。

その後~小学校(3回くらい)、中学校(1回)、高校(1回)の同窓会で会うくらいです。特に高校は卒業25年の幹事学年の記念講演のスピーカーになり、たしか「任侠道の地、群馬」というような話しをしました。

・・・糸井君については、子どもの頃から何かと意識せざるを得ない存在で、影響も受けてきていると思います。今思っても糸井君の最大の才能は、「普通さ」と「面白いことに対する素直というか、率直さ」、「これから流行るものを見分けて、集中すること」、そして「王道というかメジャーさ」(阪神でなく巨人ファン、トッポでなくジュリー派)ではないかと思います。

近くで生まれ過ごし、あるときは親しく、ある時期は離れて、まさしく『等身大のままできることを、ちゃんとやっているうちに、上昇するらせんのように進歩はする。』を見続けてきました。

「ほぼ日」

「ほぼ日刊イトイ新聞」2014.11.09



11月9日の「今日のダーリン」より
『それにしても、知りあいで亡くなる人が多くなった。
そのことは、じぶんが亡くなることに
近づいているということなのだろう。
いつか同い年の同窓生たちがみんな他界したときに、
じぶんだけが何十年も余計に生きていることは不可能だ。
そういう意味では、「多くなった」ということは、
なにかを表わしているんだということくらいわかる。
それが、わたしの「状況」というものだからね。
でもね、それは赤ん坊のときから決まってたことだ。』

いつまでも見続けていられるのか?
どこかでまた接点が生じるのか?
どちらかが先に亡くなるのか?

片思いであろうとも、人生を並走する(というよりモデルであり、規範となる)同級生がいるのは、うれしいことです♪

●ここまでお読みいただき、ありがとうございます(^-^)/
ここからは加寿の仕事のご案内です。

ファシリテーション/会議の進め方の公開セミナー【★3c5s★ 1日で問題解決の糸口が見つかり~目標達成に向けて歩みだせる!】を、11月16日(日)に群馬県高崎市で開催します。どなたでも参加できますので、ぜひファシリテーションを身に付けていただきたいと思います。

【概要】公開セミナー【★3c5s会議★ 1日で問題解決の糸口が見つかり~目標達成に向けて歩みだせる!】
日程:11月16日(日)9:30~17:30(受付9:00から)

会場:東横イン高崎駅西口Ⅰ 1階会議室(JR高崎駅西口から徒歩3分 群馬県高崎市鶴見町2-2 TEL:027-324-1045) 地図

●詳細とお申し込みはこちらからどうぞ

問題解決会議あれこれ各地で行なったファシリテーション・セミナーの様子

◆主催:株式会社 家族会議/ぐんまファシリテーション実践会
お問い合わせ先:株式会社 家族会議

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