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書を捨てよ、町へ出よう。【生きるチカラ/言葉の智から】

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『書を捨てよ、町へ出よう。』

~12月10日生まれの詩人、劇作家 寺山修司の言葉

寺山修司は1935年、青森県生まれ。「言葉の錬金術師」の異名をとり、歌人、俳人、詩人、劇作家、演出家、映画監督、小説家、作詞家、脚本家、随筆家、評論家、俳優、写真家などとしても活動、膨大な量の文芸作品を発表した。1967年演劇実験室「天井桟敷」を設立。

競馬への造詣も深く、競走馬の馬主になるほどであった。メディアの寵児的存在で、新聞や雑誌などの紙面を賑わすさまざまな活動を行なった。
       ・・・出典 : Wikipedia、[身捨つるほどの]寺山修司名言集[祖国はありや]

寺山修司

「僕の職業は寺山修司です 33rappa」より


寺山修司の他の言葉
『お芝居と同じように 人生にも上手な人と下手な人がいるのよ』
『人生には、答えは無数にある しかし 質問はたった一度しかできない』
『人生はお祭りだ いつもどこかでおはやしがなっている』
『さよならだけが人生ならば またくる春はなんだろう』

『見えるものばかり信じていたら いつかは虚無におちるだろう』
『貧しい想像力の持ち主は貧しい世界の終わりを持ち 豊かな想像力の持ち主は豊かな世界の終わりを持つだろう』
『「二人で並んで こうやって目をとじていっしょに居眠りしても…同じ夢を見れないなんて変なことね どうしてかしらね」
「それは 目をあいたときにいつも同じ夢をみているからだよ」』

『「明日になれば 思いがけないことが起こるかもしれない」
だから
「明日何が起こるかわかってしまったら 明日まで生きる愉しみがなくなってしまう」のである』
『たしかなことは自分の未来が自分の肉体の中にしかないということ』
『この世でいちばん遠い場所は 自分自身のこころである』
       ・・・出典 :[身捨つるほどの]寺山修司名言集[祖国はありや]


加寿の感想と体験
・私が大学生当時、同級生の妹(16歳だった)が家出して、寺山修司主宰の演劇実験室「天井桟敷」の試験を受け(ジャニスのボール&チェーンを唄って)落ちた。

・私が大学を休学して住んでいた代官山から渋谷駅に行く途中に喫茶店「天井桟敷」があり、覗いたら寺山修司が珈琲を飲んでいた。

・私が30代の頃付き合っていた女性が、寺山修司脚本の演劇で主役をしていた。

・・・時代は寺山修司でした。当時の若者たちの合言葉は『書を捨てよ、町へ出よう!』
「天井桟敷」の他にも「赤テント」「黒テント」などの演劇集団が活動し、誘われて観に行きました。思えば、夢のあるいい時代でした・・・

寺山修司ワールド

『寺山修司ワールド』がオープン!



●ここまでお読みいただき、ありがとうございます(^-^)/
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*会議ファシリテーションについて、詳しくは、こちらでご覧ください。

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