今回は、「あまちゃん」でなく「ごちそうさん」風の、ちょっと朝ドラっぽい展開です(笑)
(塾長:関端桃子の)祖父の友之助が始めた町の雑貨屋が、時代の流れとともに、どのように学習塾に変身したか!? というお話しです。
私(加寿)の会社;株式会社 家族会議では、研修や会議の進行・促進(ファシリテーション)の他に、学習部門として学習塾の経営も行なっています。その学習塾の名前は三友学習塾ですが、「三友」は「みとも」とも「さんゆう」とも読まず、「さんとも」と読みます。
よく、「三友学習塾の名前の由来はなんですか?」と聞かれることがあります。
塾長の名前が関端(せきはた)で、旧姓は石黒、所在地は前橋市住吉町・・・一体どこから、「三友(さんとも)」の名前が出てきたのでしょうか?
実は、三友の名前の由来には、戦前から戦中、戦後を経て現在に至る、大きな時代の流れと地域の変遷と、三代にわたる家族の物語があるのです!
*一番左が祖父 友之助/昭和8年の三友商店と奉公人です。このころは繁盛していました。
株式会社 家族会議の学習部門である三友学習塾の塾長 関端(せきはた)桃子の先祖は、愛知県三河郡の出身です。
それもあって祖父 友之助が1918年(大正 7年)に、奉公していた三河屋から独立して、前橋市住吉町で雑貨屋を始めるときに、三河(みかわ)の「三」と友之助の「友」をとって「三友(さんとも)商店」と命名をしました。なぜ「みとも」と読まず「さんとも」と読ませたかは謎です。(詳しい年表はこちら)
祖父は当時としては、かなりのアイディアマンで、縫い合わせると柄がつながって浴衣になる、てぬぐいのデザインを考えたり、割引券を発行していました。また、毎月3日(さん)と16日(とも)に大売り出しをしていました。
*三友商店の御年賀手ぬぐい(縫い合わせると柄がつながって浴衣になります)
朝は7時から夜は10時くらいまで店を開き、食料品は扱っていませんでしたが、近所の便利屋でした。もちろん年中無休で、休みの日は元旦しかありませんでした。しかも、その日まで近所の人が年賀用の品を買いに来ていました。
父は会社員、母は公務員でしたが、祖父は二人の仕事をやめさせて、二代目として店に専念させました。
*父が行なって入賞したディスプレー/昭和40年度 ライオン油脂製品山積コンクール 入賞店
このように徹底して祖父と両親は、近所の人たちに物を売ることで貢献していましたが、時代と共に大手スーパーが進出したり、コンビニエンスストアーができたり、車社会になったりで、小さな町の雑貨屋は経営状態が厳しくなり、継ぐ人もなく、閉店することになりました。
先祖からの「三友」の名が無くなるのはあまりにも寂しいので、日吉町にあった学習塾を1999年(平成11年)に前橋市住吉町の三友商店の跡地に新築移転するときに、三友学習塾に改名「三友」の名を残しました。
地域の人々にもなじみのある名前なので、「三友さん」「三友さん」と慕われ、おかげ様で、夜の時間はほぼ満席になる繁盛ぶりです。
これからは物を売るのでなく、学習を通じてコミュニケーションをはかる事で地域に貢献させていただきたいと思います。
*現在の三友学習塾/株式会社 家族会議の社屋です。
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アーカイブ: 2014年3月12日
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