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帰ってきたとき、ザ・ビートルズは他のどんなバンドとも違っていた。【生きるチカラ/言葉の智から】

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『帰ってきたとき、ザ・ビートルズは他のどんなバンドとも違っていた。』

~11月24日生まれのミュージシャン ピート・ベスト の言葉

ピーター・ベストは1941年生まれ、イギリスのミュージシャン。ザ・ビートルズのメンバーとしてメジャーデビューする直前まで在籍していたことで知られ、「5人目のビートルズ」と呼ばれる。ビートルズの無名時代を知る人物であり、また下積み時代にメンバーと共に切磋琢磨し、地元の人気バンドに押し上げた功労者だが、レコードデビューを目前にして突然ビートルズを解雇された。

1965年(1967年説もあり)には音楽業界から完全に足を洗ったが、近年では、時折ビートルズのトリビュートバンドを結成し、日本でもライブを行っている。
    ・・・出典 : Wikipedia及び、「ピート・ベストの苦悩」他より

ザ・ピート・ベスト・バンド

ザ・ビートルズ/ザ・ピート・ベスト・バンド


ピート・ベストの言葉
『僕たちの噂が広まると、クラブに客が詰めかけるようになった。週に7日働いた。最初は、ほとんど休憩なしにステージに立ち、閉店の12時半には仕事は終わったが、演奏がうまくなると、たいてい夜中の2時まで客が帰らなかった。

学んだのは体力だけじゃない。ものすごい数の曲も覚えなくてはならなかった--思いつく限りのあらゆる曲を。ロックだけじゃない。ときにはジャズでさえ。それ以前はステージで鍛えられてなかった。だけど帰ってきたとき、ザ・ビートルズは他のどんなバンドとも違っていた。それが成功を呼び込んだんだよ。』

『本当に口惜しかったのは、自分が見逃してしまったものが分かった時なんだ。
最初は何もかも後悔ばっかりだった・・・・』

『しかし、今は違うよ。俺は本当に喜んでいる。幸福な思い出がいっぱいある。素晴らしい時代が、俺にもあったもの。彼らに感謝しているんだ。やがて審判の日が来るさ。』
    ・・・出典 :【”天才”に生まれ変わる「10000時間の法則」】【ピート・ベストの苦悩】他より


加寿の感想と体験
ビートルズがデビューして世界的にブレークする直前に解雇されたピート・ベスト~その苦悩と悔恨の人生は想像に難くないが、今回は別のところに焦点を当てましょう。

ピート・ベストの言葉『帰ってきたとき、ザ・ビートルズは他のどんなバンドとも違っていた。』

こちらはジョン・レノンの言葉『ハンブルクでは、1日8時間もステージに立たなくちゃならなかったから、新しいやり方を見つける必要があった。

演奏もうまくなり、自信もついた。一晩中、演奏してたんだから、嫌でもそうなるだろう。客が外国人なのもよかった。観客にわかってもらおうとますます必死に、全身全霊で努力した。』
・・・出典「天才! 成功する人々の法則」マルコム・グラッドウェル/勝間 和代
(1960年まだ売れる前のビートルズがドイツのストリップ劇場で演奏をしていた時の話)

10000時間(1万時間)の法則ってのがあるそうです。マルコム・グラドウェル氏が提唱し始めた法則で、モーツァルトやビートルズなどのアーティストや、世界的に有名なスポーツ選手がその分野で活躍するための練習にかけた時間は10000時間がひとつの目安となるという説です。

私が集中しているファシリテーションでも「上手くなるには場数を踏め!」と言われます。ある人は「場数=馬鹿’s⇒恥を掻いた数が多いほど上手くなる。」と言います。

さあ、10000時間を目指して、場数を踏もうではありませんか!

10000Hours Rule

10000Hours Rule



●ここまでお読みいただき、ありがとうございます(^-^)/
ここからは加寿の仕事「ファシリテーション」のご案内です。

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*会議ファシリテーションについて、詳しくは、こちらでご覧ください。

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